損保ジャパンは全社員をデジタル人材に データ活用の土壌をつくる育成法

損保ジャパンは全社員をデジタル人材に データ活用の土壌をつくる育成法

損害保険大手の損害保険ジャパンは「データの民主化」を掲げ、保険料の見積もりや保険金支払いなどの業務で、デジタルトランスフォーメーション(DX)を加速させています。全社員を対象にデジタルスキルのボトムアップを図り、現場とエンジニアなどの専門家をつなぐ企画人材も育成。膨大なデータを業務効率化や新ビジネスにつなげるための土壌をつくっています。執行役員CDO・DX推進部長の村上明子さんに、DXと人材育成の取り組みを聞きました。

村上明子(むらかみ・あきこ)さん

【プロフィール】

村上明子(むらかみ・あきこ)さん

1999年、日本アイ・ビー・エムに入社し、東京基礎研究所で研究に従事する。2021年に損害保険ジャパンに入社し、損害保険のDXを推進。22年4月からは執行役員CDOを務めている。ITを活用した災害からの復興や減災、リスク管理を実現する「レジリエント工学」にも関わり、15年には一般社団法人情報支援レスキュー隊を設立し、理事に就任した。

ビジネスの縮小に危機感

——損保ジャパンがDXに力を入れるようになったきっかけを教えて下さい。

旅行会社や航空会社も対面のカウンターからスマホでの予約に移行していますが、保険業界にもデジタル化が押し寄せています。今までは紙の申込書が中心でしたが、オンラインと対面の組み合わせや、デジタルだけで加入するお客さまも増えました。

損害保険は今まで、家や車などの大きな物を買ったときに加入を検討するお客さまが多かったのですが、デジタル化で保険の入り方も変わるという考えがありました。

(親会社の)SOMPOホールディングス(HD)は2016年、ベンチャー企業の経営者だった楢﨑浩一を迎え入れ、17年にはCDOとして起用し、HD全体のDXを進めました。損保ジャパンは21年にDX推進部を新設し、事務手続きや保険加入のプロセスで、DXによる圧倒的な効率性の向上を図っています。

当社の保険の売り上げのうち5割近くが自動車保険です。ただ、若者の自動車離れが進み、シェアリングエコノミーの浸透で車の保有台数が少なくなると、ビジネスの縮小も予想されます。コネクテッドカーや自動運転などの進歩によって、今の形の保険は将来存続しないかもしれない。モビリティー産業の未来に関わり、それに必要な保険を作るためのデータ戦略も考えています。

社員自らダッシュボードをつくる

——DXを進める上で社内のボトルネックは何でしたか。

保険はたくさんのデータを扱いますが、社内で主に用いるのは、保険の売り上げや事故などの統計と、お客さま個々の事故や保険金支払いのデータの2種類です。このうち全社員が見られるのは統計データになります。

今までも活用できていなかったわけではありませんでしたが、少し古いシステムを使っていてデータを取り出すのが大変でした。また、各部署内でデータが完結し、自分の業務以外のデータは何があるのか分からない「サイロ化」も起きていました。

今は誰でも必要なデータにアクセスできる方針を進めています。これを社内では「データの民主化」と呼んでいます。

——「データの民主化」はどのように進めたのでしょうか。

全社的な仕組みとして、用意したダッシュボードで可視化したデータを見るところから始めました。次に、社員が自ら業務に必要なデータを取り出し、自分自身のダッシュボードをつくることができる環境を整えています。

例えば「地方の特殊な商品の売り上げに関するダッシュボードがほしい」といった要望が出てきたとき、本社の人間が一つひとつ手がけると作業が進みません。リクエストに沿うものを社員自らつくれるようにしています。

「圧倒的な生産性」へAIを活用

——DXを進める目的として「圧倒的な生産性」を掲げています。

保険の引受、販売、支払いという大きく三つの業務があり、それぞれに生産性向上が求められています。

引受とは、損害のリスクに対しいくらの保険料で引き受けるかを決める業務です。企業向けの保険なら業種、売り上げ、資産、取引先、過去にどんな事故で支払ったのかなど様々な情報が必要になります。

アンダーライターという専門職が情報を集めて金額を決めますが、かなり手間のかかる仕事でした。ここを多様なデータを一元管理して表示することで効率化を図っています。将来は人が見切れない大量のデータをアンダーライティングに生かす技術も目指しています。

また、保険を売る代理店向けには、お客さまからの問い合わせに対応するため、AI(人工知能)を用いたサーチエンジンを導入し、DXを進めて業務負担を減らしています。

他に当社で大きな比重を占める業務が保険金の支払いです。自動車事故の車両保険では、修理工場から見積もりが寄せられ、アジャスターという専門職が請求額が正しいかをチェックしています。

例えば、バンパーの交換だけで済む単純な損傷も、見た目では分からない複雑な損傷も、チェックの手間は同じだけかかっていました。このため、単純な事案の場合はAIを活用するようにしました。

AIが支払い額を決めるのではなく、保険金の請求額が妥当かをAIで確認し、相違がなければ支払うという仕組みです。単純なものはAIで、難しい損傷は人の目でチェックすることで、不正請求もガードできるようになります。

効率化で高める顧客対応力

——業務効率化はどこまで進んだのでしょうか。

AIモデルは導入し始めたばかりですが、年間100万件の車両損害(人が絡んでいない事故)の40%について、25年までにAIに代替する効率化を目指しています。

ただ、よく誤解されるところですが、40%削減したからといって人を4割減らすわけではありません。単純業務を効率化することで、今まで十分に時間をかけられなかった業務にリソースを割くのが本来の目的です。

保険金の支払いでは機械的に書類を出すのではなく、事故や災害に遭われたお客さまに寄り添いながら、丁寧に対応しなければいけません。我々は効率的に仕事をしているつもりでも、お客さまは冷たい対応に感じることもあります。お客さまへの対応力を高めていくのが第一です。

——21年にDX推進部を新設しました。

今までは全社のデジタル施策を横串で見る組織がありませんでした。

保険の仕組みは商品を作るところから、引受、保険金の支払いまで全てつながっています。しかし、それぞれの部門がバラバラに分かれていることで、保険に加入するときはデジタルなのに保険金が支払われるときは紙の手続きになる。あるいはその逆もしかりという感じで、お客さまの体験がバラバラになっていました。従って、全体を俯瞰して見る組織をつくるというのがDX推進部の目的の一つでした。

課題の解消はまだまだ道半ばですね。推進部の人材は一つの部門だけでなく、会社全体のことを考える訓練をしているところです。そういった人材が全社的に広がるといいなと思っています。

3層に分けてデジタル人材を育成

——DXを進めるために、社員をデジタル専門人材、デジタル企画人材、デジタル活用人材の三つに分けて育成を進めています(図表参照、損保ジャパン提供)。どのような取り組みになるのでしょうか。

私は21年にITの会社から移りましたが、保険会社の社員全員がデジタル人材としてバリバリとコーディングするようなイメージには違和感がありました。

ただ、誰もがスマホを使いこなす時代に、お客さまのニーズに合わせたデジタルツールを使いこなす素養は身につけないといけません。全社員が身につける最低ラインを「デジタル活用人材」と位置づけました。

デジタル活用人材の育成では、人事やシステム系の部門と連携し、社内で使うデジタルツールの名前や用途を尋ねるという基本的なテストから進めています。

学びの敷居を下げるため、若手社員を中心に「デジタルの思い込みあるある」をテーマにしたショートコント風の動画も作りました。社長の白川(儀一)も常務時代に出演しています。それも自分で脚本を書き、失敗して若手社員に怒られる役を演じました。「私が叱られた方が面白いでしょう」とノリノリでした(笑)。

DXという新しい試みはどうしても負担がかかります。負担の向こう側にある(業務が)楽になる世界を見せないといけません。

スマホが誕生したとき、買った人は10%もいなかったでしょう。使っているのを見た人たちがうらやましいと思うことで急速に広がりました。会社のDXも同じです。一部のアーリーアダプターで施策を実行し、デジタルを使うことによる効果を見せることで、残りの人たちに追随してもらうことが大切だと思っています。

「デジタル企画人材」の役割とは

——それでは、一段上の「デジタル企画人材」に求められる役割は何でしょうか。

お客さま、社員、保険代理店向けにツールやサービスを提供するときは、当社の業務を理解したうえで、世の中にあるデジタルのニーズや技術を把握し、DXを実現できる人材が必要です。全社員約2万3千人の3%にあたる700人をデジタル企画人材にするという目標を掲げています。

自らツールを一から作る必要はありませんが、お客さまや代理店の業務が便利になるアイデアを思いつける人たちを「デジタル企画人材」と呼んでいます。お客さまや現場の人間と試行錯誤しながら、社内のエンジニアやデータサイエンティストなどの専門人材ともやり取りして、社内のDXを進めるパイプ役となります。

前職時代、現場のビジネスを理解している人が問題意識を持ってデジタルを採り入れている会社が、最も成功していると感じました。外部のベンダーやIT企業に任せきりでは、デジタル変革は起こりえません。

DX推進部の半数は保険販売の部署などにいた非専門人材です。現場を知る人が専門人材と一緒に、非効率と感じていた業務の改革をDXで進めることが重要です。

デジタルはある程度の素養が必要ですし、ベンダーから「テストツールを作ってください」と言われることもあります。そういったところは専門人材と組んで、訓練を重ねることになります。DX推進部が大きな研修施設のような形になってデジタル企画人材を育て、各ビジネス部門に輩出することを考えています。

DX推進へ四つのフェーズ

——DXを推進するために四つのフェーズを定めています(図表参照、損保ジャパン提供)。それぞれどのような取り組みになるでしょうか。

当社ではDX1.0~4.0と位置づけ、それぞれのフェーズを同時並行で進めています。

DX1.0は会社の風土を変えていくというものです。デジタル技術は日々進化し陳腐化します。全社が学び続けるような変革をしなければいけません。6~7割くらいは進みましたが、ゴールはありません。

DX2.0は業務効率化で、今は3年計画の2年目になります。全社で3割ほどの業務見直しを考え、そのうち7割程度進みました。

DX3.0はデジタルを使ったビジネスモデルの拡大を、6年くらいの計画で進めています。既存の保険商品をデジタルの力を生かして売るという目標は、あと2~3年で実現するところまできました。

加えて、デジタルを通じて全く新しい保険商品を展開する大きなビジネスにも取り組まないといけません。WEB3.0の世界になり、自動運転やドローンでの移動が進む時代に対応できる保険商品が必要かもしれません。選択と集中で進めていきたいです。

そして、DX4.0はデータを起点に社会変革を進めるというもので、当社だけではできません。SOMPOグループのデータを活用しながら、交通事故を減らしたり防災・減災につなげたりして、安全、安心、健康に資する変革に取り組もうと思います。

ダッシュボード化がバックオフィスにも恩恵

——バックオフィス部門のDXはどのように進めていますか。

先に挙げたデータのダッシュボード化は、バックオフィスが収支管理などで恩恵を受ける部分ですね。

今まで業績予想をつくる際は、発表の前に数日間、不夜城のような状態で各部署からデータを集めると聞いていました。監査でも担当者が散在していたデータを集めて回るという状態だったといいます。

しかし、データが正しい形でダッシュボード化されていると余計な手間がはぶけ、本来するべき業績予測や監査に時間がかけられます。

将来はお客さまの支払いもDX化を加速します。お客さまに便利なことは社員にも便利なことにつながる。全社的にDXを進めることで、バックオフィス業務もどんどん便利になっていくと思います。

「デジタルが苦手」と言わないで

——自動運転やコネクテッドカーの普及で損保業界も大量のデータを扱うことが予想されます。自動車の未来にどのように対応しようと考えていますか。

そもそも損害保険は海運業からはじまり、火災保険、自動車保険へと流れが変わっています。今は5割近くが自動車保険というポートフォリオも、大きく変わるでしょう。

色々な業種が生まれては消える中、保険業界は160年くらい続いています。意外と頭の柔らかい業界なのではないでしょうか。リスクをみんなで分担し、新しいリスクにも対応してきたのが保険という商品です。新しいもの好きの人たちがやっていたと思いますので、私は絶対にこの会社も業界も変わっていけると考えています。

新しいものに興味を失わずに学び続けて、それが自分の業務や業界にどう関連するのかを考え続けるのが大事ではないでしょうか。

そのとき、機械学習やデータ分析を知っているか、パイソン(プログラミング言語)を書けるかというのは、あまり関係ないかなと思います。私もずっと研究者としてコードを書いてきましたが、若い人が書く最新のコードの速さには敵いません。でも、進化するAIやWEB3.0が、保険の未来とどう関わるのかは常に考える癖が付いています。

——管理職の方に向けて、社内でDXを浸透させるためのアドバイスをお願いします。

「デジタルが苦手」と言わないでいただきたいです。自分の上司が「俺、デジタルが苦手でね」と言うと、現場も「苦手と言っていいんだ」と思ってしまいますよね。

人間は誰でも不得手なことがあります。しかし、会社としてDXを進めないといけないときに、「俺は苦手だけどお前は頑張れよ」と言われても部下は付いてきません。まずは「自分は苦手かもしれないけど勉強している、一緒に頑張ろう」という姿勢を示してはいかがでしょうか。

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