アントラーズがバックオフィス業務を一新 小泉文明社長が語るDX

アントラーズがバックオフィス業務を一新 小泉文明社長が語るDX

主要タイトル最多20冠を誇るJリーグの鹿島アントラーズは2019年、フリマアプリ大手のメルカリに経営権が移りました。バックオフィス部門を含めたデジタルトランスフォーメーション(DX)を急加速させて、業務効率化を図りました。DXの浸透を、ギフティングやデジタルマーケティングなど、コロナ禍の新規事業につなげています。アントラーズの社長でメルカリ会長も務める小泉文明さんに、お話を伺いました。

承認作業にハンコが7個

——19年8月、メルカリは日本製鉄からアントラーズの経営権を譲り受けました。小泉さんの社長就任当初、特にバックオフィス部門では、どのような課題がありましたか。

小泉氏:対面が前提の行動様式になっていて、稟議の承認など、ほとんどの業務が紙ベースで行われていました。

正社員50人ほどなのに、承認作業にはハンコが7個も必要でした。人生で初めて紙の決裁箱を見ましたね。業務をよく知っているマネジャーと担当役員だけで十分なのに、何のためのチェックかを理解しないまま、中間層も全員押印するのは非効率だと思いました。

——インターネット企業とのギャップを感じられたのですね。

小泉氏:インターネット企業のミクシィとメルカリで12年間、経営に携わっていました。正しい意思決定を早くできるのが強い会社で、その前提は、情報の透明度の高さです。

しかし、当時のアントラーズも含め、日本の一般的な組織は、役職が上にいくほど情報量があり、末端の従業員までは情報が行き届きません。それだと、タイムラグが発生するので、正しくて早い意思決定や行動ができなくなります。

情報の流通、評価制度、意思決定プロセスの全てを変えなければいけないということが、社長になって最初に持った問題意識でした。

トランスフォーメーションとは、企業の文化や業務を見直したうえで、デジタルツールを入れて競争優位性を上げることです。ただデジタルツールを入れたというだけでは、全くDXにはならないでしょう。

アントラーズでは、7階層あった役職を3階層に変えるなど、自社のカルチャーや業務プロセスの見直しから始めました。

鹿島アントラーズ社長でメルカリ会長も務める小泉文明さん(写真はすべて鹿島アントラーズ提供)

鹿島アントラーズ社長でメルカリ会長も務める小泉文明さん(写真はすべて鹿島アントラーズ提供)

バックオフィスのメルカリ流DX

——デジタルツールは、どのように導入を進めましたか。

小泉氏:はじめに、実績のあるビジネスチャットツールを導入しました。その際、社員には「情報の透明度を高めて、みんなが同じ情報を持ち、早くて正しい意思決定をできるかが、競争優位上大事です」としっかり説明しました。

単純に「メールからチャットツールに変わりました」というだけだと、社員も「メールで十分ですよ」という意識になります。導入の目的や会社が進むべき方向性を示した上で、ツールを入れるという順番が望ましいでしょう。

契約書、人事・労務管理、会計におけるクラウドサービスも導入しました。契約書、経理精算・請求書処理など、紙でやっていた業務を、全部デジタルに置き換えたのです。アントラーズには紙の請求書はほとんど来ないようになりました。

大事なのは、こうしたツールは一つずつ導入することです。導入するたびに便利になったという実感を高めることで、社員も新しいツールに対して、前向きになりました。

——デジタル化で業務の進め方はどう変わりましたか。

小泉氏:サッカークラブはアジア各国も含めて遠征があるので、社員同士がフィジカルに会えないケースも多々あります。そういう会社が紙で決裁を回しているのはナンセンスですよね。デジタル化で業務効率は格段に上がりました。

チャットツールのチャンネルは、情報の機密性があるもの以外、ほとんどのやり取りがオープンで、社員は自分が入りたいチャンネルに入れます。今までは縦割りで見られなかった様々な情報に触れることで、先回りして動けたり、アドバイスがしやすくなったりして、生産性はかなり上がっていると感じます。

コロナ下での「投げ銭」とCF

——経営権を取得した翌年、新型コロナウイルスの感染が拡大し始めました。大きな影響があったのではないでしょうか。

小泉氏:働き方に関しては、様々なデジタルツールを導入した上で、2020年2月上旬には在宅ワークをテストしていました。ほぼ全員がオフィスに来なくても業務ができるよう対応できましたね。

一方、売り上げへのダメージは大きかったです。コロナ禍前は、チケットとグッズの販売で年間18億円を売り上げていましたが、コロナ禍以降は4割減の10億円強です。

——コロナ禍の中、過去の試合映像を配信・観戦するオンラインイベントでのギフティング(投げ銭)や、クラウドファンディング(CF)など、デジタル施策を進めました。

小泉氏:お客様に提供できる価値は、もっと色々あるのではないかと思ったんです。サッカークラブはホームゲームしか収益化できず、アウェーでも選手は稼働しているのに、お金が生まれないところに違和感がありました。

それなら、インターネットを通じて、サポーターの方から様々な形で応援してもらえる仕組みの提供が重要だと思い、スピード感を持って実施しました。

鹿島アントラーズでは、コロナ禍でも、サポーターとのエンゲージメントを深めるデジタル施策を展開しています

鹿島アントラーズでは、コロナ禍でも、サポーターとのエンゲージメントを深めるデジタル施策を展開しています

CFではJリーグトップの約1億3千万円が集まりました。他クラブがサイン入りユニホームなどのモノをリターンとして渡す中、アントラーズは「体験」の提供を重要視し、 お金を出したサポーターに、鹿嶋まで来ていただき、よりエンゲージメントを高める考え方で、リターンを用意しました。

——こうした施策を進める上で、業務のDXはどのように役立ちましたか。

小泉氏:業務が効率化されて、時間あたりのアウトプットが大きくなったので、空いた時間に社員が新しいプロジェクトを立ち上げられるようになりました。コロナ禍の中、既に10件近くの新プロジェクトが生まれています。

チャットツールのチャンネルはプロジェクトごとに作られ、誰でも入ることができます。「こういうメニューを作った方がいい」、「料金が安すぎないか」など、社員が色々な目線から意見を出しやすい体制ができたのも、DXの効果かなと思います。

DX取り組む社会課題

——営業活動や集客、チーム強化に関しては、DXがどのようにプラスに働きましたか。

小泉氏:アントラーズのパートナーの中には、DX支援ツールを提供されている企業もいて、うまく連携できていると思っています。

パートナーと共同でアントラーズのアプリも作っていて、直近の試合情報やスタジアムマップ、購入済みチケットの確認などができます。今後はイーコマースなど、アプリを進化させて集客につなげたいです。

メルカリが親会社になったことで、チーム育成もエンジニアリングを生かし、ツール類を導入したり、自主的にシステムを作ったりしてサポートしています。

例えば、ユースの選手は、トレーニング内容やコーチからのフィードバックなど育成プロセスを、一人ずつデータベース化して、ログで残していくように開発を進めています。

「秘伝のタレ」のように、感性で育てる部分を残しながらも、さらにデータ化することで、優秀なプレーヤーを高い再現性で生み出すことができると考えています。

——アントラーズは地元企業のデジタル化を支援したり、カシマスタジアムのラボ(研究所)化を進めたり、DXをさらに推進させています。

小泉氏:地方の企業経営者は、コロナ禍もあってDXの必要性を感じながらも、支援を頼むところがよく分からない、というのが現実ではないでしょうか。それでは、地方の競争力がどんどん下がってしまいます。

アントラーズは、地元の数社と契約し、DXによる最適な業務フローを構築するコンサルティングを行っています。そこまで大きな事業ではありませんが、ニーズはあると感じます。

スタジアムのラボ化については、5Gを使ったスポーツコンテンツの実証実験などを始めています。

試合前にジュースやお菓子を買うと両手がふさがって、チケットを出すのも面倒くさい時がありますよね。入り口で顔認証の決済ができれば、だいぶ楽になりますので、実験を進めています。周辺道路の渋滞解消のために、MaaS(次世代モビリティーサービス)を使う実験なども行いました。

鹿島アントラーズはスタジアムにデジタルツールを採り入れることで、新たな観戦体験を提供しようとしています

鹿島アントラーズはスタジアムにデジタルツールを採り入れることで、新たな観戦体験を提供しようとしています

試合日のサッカースタジアムは、コロナが無ければ、数時間で数万人が集まる非日常の空間で、近未来のテクノロジーを実験するには、ちょうどいいサイズです。2週間に1回というホームゲームの間隔は、PDCAも回しやすい時間軸になります。

色々な企業とタイアップして、サッカースタジアムで技術を試しながら、社会課題を解決するためのラボにしていきたいです。

企業がDXを進めるには

——これから先、クラブではどのようにDXを活用していきたいですか?

小泉氏:デジタルが入れない場所はないと考えています。コロナ禍で消えた観戦習慣を元に戻すのは難しい。サポーターに、より感動していただく観戦体験をしてもらうためには、やはりデジタルの力を入れるしかありません。

パートナーになっていただいている企業についても、単にスポンサー費用をいただくだけの関係ではなく、アントラーズのアセットを活用して 相手方のビジネスを支援することを考えなければいけません。

その全てにテクノロジーが関わるので、私たちは強みを生かしながら、新たな事例をどんどん作っていきたいです。

小泉社長はアントラーズのアセットを使いながら、DXも含め、他企業のビジネスのサポートにも乗り出しています

小泉社長はアントラーズのアセットを使いながら、DXも含め、他企業のビジネスのサポートにも乗り出しています

――Jリーグ創設時から築いてきたアントラーズの伝統や、地域・サポーターとの信頼関係が、DXの推進力になった面はありましたか。

小泉氏:それは、危機意識ではないでしょうか。スタジアムのある鹿嶋市の人口は6万7千人で、ホームタウンすべてを合わせても28万人くらい。ライバルの川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、浦和レッズ、ガンバ大阪など大都市圏のクラブには遠く及びません。

待っていても人は来てくれません。変化し続けなければ時代に取り残されるからこそ、デジタルもしっかり使っていきたい。アントラーズにチャレンジする文化 が根付いていたことは、大きかったと思います。

――企業がDXを進めていく上で必要なことは何でしょうか。

小泉氏:導入フローとしては、明確な目的を持ってツールを入れ、それを社員に説明すること。そして、スモールスタートで一つずつ入れていくことに尽きます。

私たちも正社員は約50人で、業務委託の方などを入れても、100人くらいの中小企業です。DXで重要なのは、経営者の危機意識だけです。それがあれば、デジタル系の人材育成や採用にも自然と投資していくはずです。

デジタル人材は、サラリーが高くて難しい面はあると思いますが、そこは経営者の腹のくくり方一つではないでしょうか。

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