【楠木建教授×インフォマート対談】『もう手放せない』体験が変える、デジタル食わず嫌い

【楠木建教授×インフォマート対談】『もう手放せない』体験が変える、デジタル食わず嫌い

コロナ禍で一気に広まった、DX(デジタルトランスフォーメーション)。その現状と可能性について、競争戦略の第一人者・一橋ビジネススクールの楠木建教授と、企業間商取引のDXプラットフォームの提供を通じ、バックオフィスからのビジネス改革の普及を目指すインフォマート・長尾收(ながお・おさむ)社長が語り合いました。DXと経営戦略との関わりとは?

楠木 建(くすのき・けん)氏
一橋ビジネススクール教授。1962年、東京生まれ。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。著書に『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知』(日経BP社、共著)など。

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儲けたければDXの「X」より「D」が先。やって失うものはない

―コロナ禍の影響もあり、DXという言葉は一気に広がっています。いま、DXはどこまで進んでいるのでしょうか。

楠木:DX(デジタルトランスフォーメーション)は、単なるデジタル化ではありません。デジタル化を梃子にしたX(トランスフォーメーション)を意味しています。
トランスフォーメーションとは、フォームが変わるということ。アナログがデジタルに代替するだけではありません。サッカーでは選手交代をするだけでなく、戦い方のフォーメーションが変わることがありますよね。ビジネスでも、商品・サービス、ツールを変えるだけでなく、それをもって稼ぎ方を変えていく。これがXです。

いまはようやくDが広がりつつありますが、それがXまで行っているかを見ると、まだまだデジタル先行。トランスフォーメーションに至っている例は少ないというのが現在地だと思います。

楠木建教授

楠木建教授

長尾:まさにその通りですね。Xまで来ているところはほとんどなく、第一歩のツールとしてのデジタル導入も遅れているのが現実です。
当社が今夏、企業の総務や法務担当者400人超に対して実施したアンケート調査では、電子契約を導入していると答えた企業は約3割しかありませんでした。コロナ禍で“脱ハンコ”が浸透したと言われていても、まだこの程度なのです。
デジタルツールへ関心が高まっているのは、当社への資料請求数の多さを見ても感じます。確実に進んではいるものの、DXのXに至るずっと手前のDを使ってもらうために、利便性を一生懸命説明して回っている。これが現状ですね。

インフォマートの長尾收(おさむ)社長

インフォマートの長尾收(おさむ)社長

楠木:単純に、デジタルを入れられるところはどんどん入れていくといいと思っています。なぜかと言えば、コストが下がるから。このロジックの蓋然性がとても高いんです。
本来のDXでは、業務オペレーションをアナログからデジタルに置き換えるDと併せて、顧客への価値の届け方を変えたり、マネタイズの方法を変えたりするXを推し進めます。ただ、トランスフォーメーションは、コストを下げる以上に売上を上げて儲けることを意図しているので、投資したから儲けにつながるという蓋然性は低い。結果が出るまで時間がかかることもあります。
すぐにコストが下がり、業務スピードが速くなる「X抜きのD」の方がずっと手っ取り早いんです。

僕は競争戦略という分野で仕事をしていますが、戦略とは、「良いこと」と「悪いこと」の間の選択を問うものではなく、良いことと良いことの間の選択なんです。異なるいいもののどっちかを採るのが戦略の問題であり、DXのXの方です。
一方、Dは、もはや選択の問題ではありません。やればいいだけのこと。何も失うものはありません。効率が良くなるだけです。

「使ってみたら手放せない」の体験価値が、因習を脱するカギになる

―では、なぜX(トランスフォーメーション)以前のD(デジタル化)がなかなか進まないのでしょうか。

楠木:理由は単純で、良さが分かっていない「食わず嫌い」だから、というだけです。

長尾:例えば請求書一つとっても、電子請求システムを入れれば、受け取りや発送、確認業務のすべてのコストや時間が削減されます。明らかにやった方がいいのですが、現場からは抵抗が出ますね。

楠木: 商売の世界は勝利条件が極めてシンプルなので、利益責任を負っている経営者であれば「コストが下がって儲かります」と言えば、拒絶する人は少ないでしょう。
ところが、それが担当者になってしまうと、ちょっと話が変わってきますよね。

長尾:そうなんです。業務が回っているのだから現状維持でいい、面倒くさいことに取り組みたくない、自分の仕事がなくなってしまう……。
「当社は進めたいが送付先企業が嫌がる」とおっしゃるケースもありますし、「うちで使っている請求書の書式を使えない」ことが請求書のソフトを導入できない理由にもなっています。「今までのやり方を続けたい」という声は根強いですね。

楠木:担当者のロジックですね。書式を維持することの経済価値を客観的に算定してみたら、いかに些細なことかが分かりますよ。

長尾:2023年10月からは適格請求書等保存方式(インボイス制度)が導入されるので、いま電子インボイスにも注目が高まっています。電子インボイス導入に向けては、国際標準となる可能性が高い「Peppol(ペポル)」という欧州を中心にしてできた基準を日本にも取り入れる動きがありますが、日本独特の商慣習も考慮する必要があるのです。

楠木:何かを変えようとするとき、「日本には特殊な商慣習があるから難しい」「日本の文化だ」という方もいます。でも、そのうち8割は、価値観に踏み込む「文化」というまでもない、単なる「因習」だと思います。

―「因習」が一つの障壁だとすると、何がカギとなってDXは進んでいけるのでしょうか。

楠木:因習を脱するカギとなるのは、「事後性の克服」だと思っています。
事後性は出来事の意味や価値はあとからわかる、というもの。例えば、インターネットです。使い始めの頃はたいして必要性を感じていなかった人でも、今からインターネットのない世界に戻りたいかと聞かれると、勘弁してほしいと言う。読書も非常にパフォーマンスが高いものですが、ある程度読んでいった後に価値に気付く点で事後性が高いと言えます。
「前に戻りたいと思いますか?」と聞いて「いや、もう前には戻りたくない」と返ってくるのは、事後的に良かったということ。それは、身体で体験したあとでしかわかりません。
デジタル化の利便性も同じです。作業が速くなる、コストが下がる、面倒くさくなくなる。これらはすべて単純な便益のように見えて、実際は事後性が高い。デジタル化は、やってみればその良さが分かるので、“四の五の言わずに使ってみる”と言えれば一番いいんですよね。初期導入の過渡期のハードルを乗り越えられる施策や仕組みはいくらでも工夫できるはずです。

長尾:まさに当社のお客様からも、「使ってみるまではピンと来なかったけど、使ってみたらもう手放せない」「今さら戻れない」と言っていただきます。

楠木:アナログをデジタルに置き換えることは”非競争領域“です。当たり前にあるもので、それ自体が差別化にならず、ないと損をする。例えば、25年前は「オフィスでインターネットが使える」ことが競争力の源泉とされていましたが、今ではみんなやっている。25年前にインターネットを使っている企業と使っていない企業がいた状況と、今のデジタル化はまったく同じだと思います。
そう考えれば、DXはそれ以前の単純なデジタル化を別にして、Dx (DスモールX)、DX (DラージX)に分けた方がいいかもしれません。

DスモールXは、「アナログでやっていたことがデジタルに変わって効率が上がった」というもの。いま皆さんが考えているDXの価値のうち、9割はこれだと思います。進めていけば、可視化されたデータが低コストで大量に集まり、よりよい経営判断のためにツールになる。やればいいだけの話なので、効率化という観点で非常に期待が持てる分野です。
DラージXは、顧客セグメントを変えてしまうほどの戦略的な意思決定になり、一般的にDXと言われる内容のごく一部の話でしょう。日本の企業総付加価値に対するインパクトで言っても数パーセント。97、98%は、単にデジタル化を進めることで達成できると思います。普通は誰かが得をすると、誰かが損をする変化が多いもの。でも、Dxは誰も損をせず社会の生産性が上がるものなのですから、よこしまな理由で進めようとしないのは社会悪ですよ。

長尾:コロナ禍の前あたりから普及が始まり、コロナ禍で一気にDXのDが進んでいるのですが、それでも広めるには苦労しておりますね。

楠木:でも、むしろ、それだけ伸びしろがあるとも言えますよね。
デジタル化の先進諸国であれば、ここからさらに生産性を上げるのは難しいかもしれません。でも、日本は違う。いわば、水をいっぱい含んだ雑巾のようなもので、持ち上げるだけでものすごい量の水が出てきます。世界がデジタル化に向けてせっせと水を絞っている中、日本の先人たちは誰も絞らずに置いておいてくれた。ある意味、我々に残してくれた資産です。変化率のものすごい大きな資産を、ありがたく受け取っていきましょう。

生産性を確実に上げてくれるものが残っている。未来は明るい

―デジタル化を進めるだけでは差別化にはならないとおっしゃいます。企業が長期的、本質的なビジネスを目指す上でどう戦略を考えていくべきでしょうか。

楠木:本質とは「そう簡単に変わらないもの」だと思っています。変わらないものを見極める上で提言しているのが「逆・タイムマシン経営論」です。新聞・雑誌を10年寝かせて読むと、変化の連続のなかで入ってきていたノイズ(雑音)がデトックスされ、一貫して変わらないものが初めて見えてくる。
「タイムマシン経営」とはシリコンバレーなどの先進成功事例を日本に持ってくることで利益を得ようと考えますが、僕はその逆を発想しています。過去は確定した事実ですから、非常に頼りになります。

長尾:当社の場合、創業24年目に入りますが、事業としてやっていることの基本はずっと変わっていないんです。クラウドやSaaS(サース、Software as a Serviceのこと)、サブスクリプションやフィンテックといったビジネスモデルは、そうしたワードで世の中に出てくる前から進めていた。はやり廃りはあるけれども、ずっと続いています。
DXという言い方も、通りが良いので使っているところもありますが、根本は変わっていないんです。

―デジタル化の遅れが指摘される日本ですが、これからの日本の展望をどう見ていらっしゃいますか。

楠木:遅れと言いますが、だいたいは遠近歪曲トラップで、遠いものは良く見えて、近いものは粗が目立つものなんです。シリコンバレーにだって経営的に良くない会社はたくさんありますし、デジタル化も進んでいるところしか見えていない。逆になぜ進んでいるかを見ると、その国なりの事情が見えてくることもあります。
例えば、アメリカだと近くの小売店まで車で数十分かかるような地域がたくさんあります。そうなればEコマースは便利だし、ドローンを飛ばそうと考えますよね。でも日本で、これだけ至るところにコンビニがあれば、わざわざドローンを飛ばさなくてもいいでしょう。表面的な一つの事象を見て、日本が全面的に遅れているとは思いません。

長尾:DX自体、多義的な概念ですからね。

楠木:ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンの二者択一の世の中で、リスクなく儲かる領域は非常に珍しいんですよね。コストを少しかける必要はあるけれども、確実にベネフィット(利益)が出てくる。

“理由なき遅れ”の背景にはやはり因習があると思いますが、コロナ禍は因習を明るみにした一つの契機でした。リモートワークはその最たる例です。フレックスタイムだろうが何だろうが「仕事とはオフィスに来てやるもの」だったのが、「あれは何だったんだ?」とみんな気づきましたよね。

長尾:因習を納得して打破していただけるように、当社も一生懸命、DXのDを使ったら便利ですよとお伝えしていきます。

楠木:僕は、日本の未来は明るいと思っています。デジタル化は、やればいいことが起きる、というめったにない話だし、単純に日本の生産性を上げてくれるのですから。

長尾:Xに一歩踏み込むところのツールやサービスまで入れてみたお客様からは、電子化されたデータは加工したり、分析したりしやすいといっていただけています。受発注データ、請求書や契約書データを電子化することで、不正や債権債務の状況がリアルタイムでわかるようになれば、即時対応を考えることもできるでしょう。経営判断がはるかにしやすくなるんです。
当社では飲食業界のお客様が多いのですが、データ活用が進めば、例えばこれまでは勘や経験に依存した判断で属人化されていた仕入れ量について、再現性のある、根拠ある数字として予測ができるようになります。デジタル化が進めば進むほど、できることの選択肢と可能性が広がっていきます。
創業以来続けてきた、デジタル化による具体的なバリューアップの提案で、日本の生産性に貢献していきたいですね。

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